宮城まり子の人生とねむの木学園とは?!後継者とテレビ放送!

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今年3月に93歳でお亡くなりになった故宮城

まり子さん。

歌手、女優、映画監督など華のある世界の宮

城まり子さんが、なぜ不自由な障害を持つ子

供たちの養護施設をつくったのでしょうか?

 

宮城まり子さんの残した『ねむの木学園』は

現在どのようになっているのでしょうか。

 

この記事では、宮城まり子の人生とねむの木

学園宮城まり子の後継者宮城まり子に関

するテレビ放送について、ご紹介いたします。

 

1. 宮城まり子の人生とねむの木学園

出典元:https://ja.wikipedia.org/

宮城まり子をウィキペディアで調べました。

本名

本目 眞理子(ほんめ まりこ)

 

生年月日

1927年3月21日

 

没年月日

2020年3月21日(93歳没)

 

出生地 東京府蒲田

(現:東京都大田区)

出典元:https://ja.wikipedia.org/

 

宮城まり子さんは2人姉弟の姉で、幼い時に

母親がお亡くなりなりました父親は事業で

失敗しました。

 

そのため、弟と一緒に吉本興業に入り、歌謡

曲を歌うようになりました。

 

こういったことから、幼い時から苦労をされ

ています。生きるために芸能界に入ったので

すね。

 

歌手として『ガード下の靴みがき』が大ヒッ

トしました。NHK紅白歌合戦にも計8回出場

ています。

 

華の世界(芸能界)で活躍し、成功をおさめ

た人です。

 

1968年に『ねむの木学園』を設立しました。

体が不自由な子供たちのための養護施設です。

当時は売名行為の批判があったようです。

 

きっかけは、1960年に脳性まひの子役を演じ

たことです。この時代は障害を持っている人

に対する教育環境がなかったことで、宮城ま

り子さんは大きな悲しみと怒りを持ちました。

売名行為』という言葉に負けなかったこと

に、強い意志を感じます。

 

宮城まり子さんがねむの木学園の子供たちと

生きた証拠と、メッセージを発信してい

ます。

 

1968年からタレント活動は事実上引退です。

半世紀以上にわたって『ねむの木学園』に尽

力されたのです。

 

時代背景は、旧優生保護法下で不妊手術がさ

れた時代です。先駆けて特例で設立が認めら

れたのは、厚生省(当時)や静岡県に働きか

けた宮城まり子さんの行動力と思います。

 

そして、『ねむの木学園』は世界的に注目

れたのです。

 

2. 宮城まり子の後継者

宮城まり子さんの存在はあまりに大きく、

継者と言える人はいないのかもしれません。

 

宮城まり子さんが後継者について表現してい

ます。

『きちんと物事を考え、感じ、愛の

多い人が、継いで下さる。私の「心」

はこどもたちが継いでくれると信じ

ています』

出典元:https://www.sfc.keio.ac.jp/

 

誰が後継者という訳でなく、『心』を継いで

くれるこどもたちを大切にしています。

 

宮城まり子さんの『ねむの木学園』で支援員

として働き、その影響で自ら福祉施設を運営

している人は存在します。

 

法定雇用率ばかり考える会社に、宮城まり子

さんの考え方は理解できないと思います。

 

3. 宮城まり子に関するテレビ放送

『NHK映像ファイル あの人に会いたい「宮

城まり子(ねむの木学園園長)」(NHK)』

2020年7月4日朝5時40分 

 

わずか10分の放送ですが、宮城まり子さんの

生き方を放送することは価値のあることと思

います。

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

 

この記事では、宮城まり子さんの人生とねむ

の木学園宮城まり子さんの後継者、そして

宮城まり子に関するテレビ放送をご紹介いた

しました。

 

宮城まり子さんがしたことは、人を大切にす

ることだと思います。様々な困難に向き合い

『ねむの木学園』を設立したことは偉業です。

 

次回の記事もお楽しみに!

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